昨年の5月からガザ最南端の町、ラファのブラジル地区に住み込み活動するNGO職員の寺畑由美さんより、今年1月中旬にイスラエル軍の侵攻で家屋破壊、友達の大怪我を身近に体験したこどもたちからの文章が届いています。寺畑さんは、「地球のステージ(本部・山形)」という日本のNGOの職員で、現在、ラファの国境線沿い・入植地周辺に住んでいる青少年を対象にした心理社会活動をしており、「フロントライン」という団体名で地元の人に知られています。下記の文章は彼女が受け持つこどもたちが書いたものです。参考までに「地球のステージ」ホームページに、彼女の活動日誌なども掲載されています。
(背景)今年一月中旬、イスラエル軍はラファに再度侵攻し、多くの家屋を取り壊しました。国連の情報によると、この侵攻で22日までの数日間に584人が家を失っています。
http://www.un.org/unrwa/news/releases/pr-2004/hqg-0204.pdf (英文。ダウンロード14KB)
これによってインティファーダがはじまった2000年9月からこの日までにガザ地区では14,852人、うちラファでは9,970人が家や財産を失いました。
以下、こどもたちの文章。「男子の声」と「女子の声」からなります。
<侵攻について:男子の声>
1月19日〜22日のラファ・ブラジル地区侵攻を経験した男の子たちが書いた文章を幾つか紹介します。
*モハマッド・アル・サタリ(14才)
朝の6時に目が覚めた。とりあえず学校に行くために支度をして家を出たけど、内心学校になんて行きたくなかった。通学途中、友だちのビラールに会った。戦車が近くにいてこの場所は危ないから逃げた方がいいぞ、と忠告したけど、ビラールは僕の忠告を無視して、代わりに僕も一緒にいるように説得してきた。戦車やブルドーザーに向けて、手榴弾を投げる男達が数人現われた。ビラールと僕は彼らを見たりしていた。突然発砲の音がして僕らはびっくりした。僕らは逃げた。はぐれてしまったビラールを探そうとしたけど、すぐには見当たらなかった。すると、ビラールの身体が地面に落ちていくのが見えた。彼の頭から血が流れていた。僕は彼のことが心配で泣いてしまった。近くにいた男たちに叫んで、一緒にビラールを担いで車に乗せてもらった。
ビラールの容態が危ないのは分かっていた。男達は、ビラールがシャヒード[殉教者*1]になった、と言っていた。僕は病院に行ってビラールのことを聞いてみた。病院は、ビラールは重傷だと言っていた。ビラールのことを心配しながら僕は家に戻った。数時間後、激しい銃声が聞えてまたびっくりした。外に出てみると、救急車が近づいてきて、銃声がひどくなり、僕は救急車の後ろに隠れた。そのすぐ後に隣近所の家に行ってみると、家の前で3人が地面に倒れていた。2人は女性で、そのうちの1人はすでに死んでいた。その女性と、撃たれていたけどまだ生きていたもう1人の女性を担ぎ出すのに協力した。3人目は重傷だった女性の小さな息子で、彼も重傷だった。
勇気が湧いた時に絶対復讐してやる。そう思いながら、戦車が止まっていた場所に戻ってみたけど、その時にはイスラエル軍はたくさんの家を壊し終わってもう撤退してしまっていた。道には水道のパイプが破壊されていて、電柱も倒れていた。
僕たちはまだビラールのことが心配でならない。周りの人がビラールは死んだ、シャヒード[殉教者]だ、と噂しているのを聞く度にビラールのお兄さんのところにいって、ビラールの容態について聞くけど、ビラールのお兄さんは「ビラールはまだ危ないけど、まだ生きているよ」と言ってくれる。それを聞く度に、僕に神様に感謝の言葉を言う。
今回の侵攻は今までの侵攻よりひどかったと思う。兵士はたくさんの家を壊していったけど、その中に僕の友だちの家も含まれていた。
将来、たくさんの武器を持って復讐できるようになることを夢見ている。敵がパレスチナから出て行く日が来るのを願っている。
*ニメル・アル・ガレーズ(14才)
学校に向っていた時は、ブラジル地区に侵攻があったことをまだ知らなかった。学校への道を歩いている途中にモハマッドとビラールに会った。ビラールは僕に「今夜電話するからな」と言って、モハマッドのところに行った。モハマッドに「おい、一緒に学校へ行くぞ」と言ったけど、モハマッドは「今日は行かない」と返事した。僕は彼に「勝手にしろ」と言った。その時に既にイスラエル兵が近くの高いビルを占領していたことは知らなかった。
学校へ歩いて行く途中、戦車がある道路を塞いでいるのを見て、恐くなった。学校に着いたら、友達がビラール・シェハ−ダというシャヒードが出た、と話してきた。僕は彼の言葉を信じなかった。僕は彼に、「ビラールなら、数分前に会ってしゃべっていたぞ!」と言った。最初の休憩時間の時、友だちがまた同じことを言い出してきたけど僕はまだ信じていなかった。でも最後の授業の頃には、ビラールのことが心配で泣けてきた。家に戻ってビラールのことを聞いたら、ビラールは怪我をしてしまったけど、まだ生きている、と聞いた。モハマッドの家に行くと、とても悲しい表情のモハマッドを見た。彼はビラールに何があったのか話してくれた。一緒にビラールのお兄さんのところに行って、ビラールのことを聞いてきた。
*アブデル・ワハーブ・ゲシタ(13才)
僕なんて、家を壊されて逃げなければならなくなった何千人のうちの1人に過ぎない。
その時、僕は家で寝ていた。戦車の音と銃声は聞えていたから、眠っていたけど恐くて深い眠りには入れなかった。夜中にお父さんが僕を起して、戦車がうちの家の門まで来ている、と言った。お父さんは、みんなで家から逃げるために僕らを起してくれた。戦車が家を破壊する寸前に僕らは逃げ出した。そして、僕らは目の前で家が壊されて行くのを見ていた。
その時僕は心の中で、世界に、そして良心的な人たちに、僕たちを助けてくれるようにお願いした。どうしてこんなことが起きているんだ?なんで続いているんだ?
僕はこの日のことが忘れられない。毎日、家と土地が破壊され、人が殺されていく。僕も、家が破壊されるまでは制服姿で学校に通っていた。破壊された家に戻って、自分のものを探そうとしたけど、学校のノートは全て瓦礫の下に埋もれて見つからなかったし、洋服は切り刻まれてしまっていた。でも、僕と家族を守ってくださった神様に感謝している。
*イブラヒーム・アル・アイディ(14才)
イスラエル軍は、武器を密入するためのトンネルがあるから侵攻してるんだ、といって、家を破壊して土地を占領した。でもトンネルなんかなかった。イスラエル兵士が何人か、ビルの屋上に行って僕の友だちビラールを撃った。彼は今、重傷だ。占領軍は木や石や子どもや老人の区別なんか付けられない。軍用の乗り物や武器を使って僕らを取り囲む。
侵攻の間、僕が住んでいる通りに戦車1台、そしてブルドーザー1台が止まってた。家から出ようとする人に対して発砲した。子どもたちはとても恐がっていた。
銃声が聞えた時、僕はバルコニーに出てみた。救急車が近づいてくるのが聞えた。何人か、重傷人がいると聞こえて来た。家の外に出てみると、頭から血を流しているビラールをみた。2時間後、ビラールは死んだ、と聞いた。信じられなかった。真実を確かめるために病院に電話をして、ビラールが重傷だって言われた。またバルコニーに出てみたら、僕のことを呼んでいる声が聞えて来た。「おい、おい!」と、何度も聞えた。近くの建物を占領していた兵士だった。彼はきっと僕を狙っていたに違いない。銃声が聞えて、お母さんが僕に向って「逃げなさい!」と叫んだ。僕は家に駆け込んだ。弾がいくつも家の壁に当たって、僕らはとても恐かった。家族全員で、家の中で一番安全な部屋に避難した。
次の日、イスラエル軍が撤退してから、周りの人たちやビラールの様子を知ろうと外に出てみた。破壊された家々、そして、まだビラールの血が残っていた地面を見た。今回の侵攻で家族が怪我をしなかったことを神様に感謝している。神様、早くイスラエル軍をパレスチナから撤退させて、僕たちに勝利を与えてください。
<侵攻について:女子の声>
1月19日〜22日のブラジル地区侵攻を経験した女の子たちが書いた文章を幾つか紹介します。
*アイヤ・アル・シャエル(13才)
夜の10時頃、家族がみんな眠っていた。そして、恐怖で目が覚めた。この日はとてもひどい日、とても暗い日だった。この日に感じた心の痛みを言葉で表現しようとしても、表しきれないと思う。本当に恐かった。ブルドーザーは突然やってきて、2部屋とお手洗いを壊して行った。家族みんな、ブルドーザーの前に立って大声で叫んだけど、ブルドーザーは止まってくれなかった。お父さんはブルドーザーに向って「家具を家から出すために、ちょっとだけ時間をくれないか」と頼んだけど、ブルドーザーは納得してくれなくて、お父さんに向けて発砲した。お父さんは背中と脚を撃たれた。お父さんは幸い、今はなんとか元気にしている。今私たちはみんな、結婚して別の家に住んでいるお姉さんのところで泊まらせてもらっている。こんなひどいことが本当に起きただなんて、未だに信じられない。侵攻の話はたくさん新聞に載ったりしているけど、私にとってはなんだか全てが夢だったような気がしてならない。こういう状況に対して、私たち子どもたちは何も出来ない。パレスチナ自治政府も何も出来ないというのに、私たちに何が出来るというの?神様、私たちに少しだけの安全を与えてください。
*ファーティマ・アル・アイディ(13才)
今回の侵攻の時、ものすごく恐くて悲しかった。戦車がブラジル地区に侵攻したという話は学校で聞いた。たくさんの家が壊されて、怪我人や死人までも出たって話も聞いた。自分がどうすればいいのか、本当に分からなかった。授業に全然集中出来なくて、これからどうやって家に帰れるのか分からなかった。結局、学校が終わったら家には帰らずに、伯母さんの家に行った。ずっと、家族が全員無事でありますように、と神様に祈り続けた。夜になると、お父さんが私を迎えに来てくれた。お父さんに家族の無事を確認した。すると、隣近所に住んでいるビラールが兵士に頭を撃たれた、とお父さんが話してくれた。私は信じられなかった。
たとえ、私たちが兵士に囲まれて、食べ物もすべて失ってしまったとしても、私たちは彼らに立ち向かってパレスチナを守っていく。ビラール
*2が早く元気になるといいな。
*ワラッ・ゲシタ (13才)
侵攻一日目、イスラエル軍は何の前振りもなく、たくさんの家を破壊していった。ブルドーザーが私たちの家を壊し始めた時、隣の家の人が大声で、私たちに逃げるように叫んでくれた。外はものすごく寒くて、妹達は泣いて、私たちは家がどうなってしまうのか心配だった。イスラエル軍は私たちに向けて発砲してきた。私たちは家具を何点か持って、白い布を頭の上に揚げて家から出ていった。侵攻二日目、兵士が近くの高いビルを占領して、狙撃兵のための穴を壁に開けていた。私たちは家に戻れなかった。
*ハニーン・ゲシタ(13才)
イスラエル軍が侵攻してきた。銃撃がすごくて、ブルドーザーが国境線沿いにあった私たちの古い家を壊し始めた。お父さんは泣いていた。この家はお父さんが育った家で、建てるのにすごくたくさんのお金が必要だったからだと思う。私たちが今住んでいる家の裏に戦車が止まっていたから、私たちは恐くて眠れなかった。私たちは家具を少し持ち出して家から出ていった。そして、おばあちゃんの家に避難した。3日間、学校に行けなかった。お父さんとお母さんが泣いているのを見ると、私はとても悲しい。
編纂者註:
*1 シャヒード[殉教者]……信仰、祖国、思想など何かの大義に殉じた人。英語では「martyr」、日本語では「殉教者」などと訳されるが、アラビア語のshaheedはもっと広い意味を持ち、「誠実な証人」という語源的な意味がある。パレスチナでは、英国による委任統治時代から、パレスチナ人であるがゆえに死なざるを得なかったもの──生を終わらせられたものたちを、「シャヒード」として敬意をこめて、共有の記憶とする文化が育まれた。[死後、シャヒードとしてのポスターが作られ、街中に貼られるというのが最もわかりやすい形であろう]だから、信仰に関係なく、イスラーム教徒でないものも「シャヒード」になるし、武器を手にして闘った後に死に至ったものでなくても「シャヒード」となる。
*2 ビラール……頭をイスラエル軍に撃たれて、意識不明の重態だったビラール君に意識が戻った!という良い知らせが届いた。普通に喋ったり、体を動かすことはできないけれども、アラビア語の問いかけに「はい」「いいえ」と答えたりすることはできるということだ。しかし、視力は今はほとんどないという。どのくらい、後遺障害が残るのかということもまだわからない。
ビラール君が受けた銃弾は通常のものではなくて、円形をしていて、炸裂するタイプのものだったという。これが頭頂をかすめ、そこで炸裂して、ビラール君の脳に破片が突き刺さった。この説明を聞いてきた人は「このような武器は恐ろしいけれど、それを開発する人間ももっと恐ろしい」と言っている。
*寺畑由美さんがこの同じ時の侵攻を記したレポートは以下で読めます。
『ラファからの手紙 またまた侵攻』寺畑由美
*このレポートの英語版ができました。英語で読む方のために。(English version here)
※同じ時のラファの様子はムハンマドによる『世界が沈黙している中、破壊される家の数は日ごとに増えていく』http://palestine-heiwa.org/doc/mohtoday_jan25.htmlでもレポートされています。写真はムハンマドによる“Reports from Rafah - Palestine”の "Rafah Today"のコーナーに。
※※ラファの町を含むガザ地区の地図
http:
//www.palestinercs.org/images/Maps/gazamaplg.jpg
ラファについての総合情報「特集:絶え間ない攻撃にさらされる街、ラファ」
http://palestine-heiwa.org/tmp/rafah/031015.html
(編集責任:ナブルス通信)
◇P-navi
info
[ほぼ毎日更新中。編集者ビーのblog。速報、インフォ、コラム]