痕跡を消し去ることに抗う

イスラエルに芽生えた、追放の歴史を保存する活動
─「ナクバ」は続いている その2─
ロン・ウィルキンソン
Wiping away the traces, Zochrot asks Interior Ministry to stop Lifta development

Ron Wilkinson

2004年9月 
─ナブルス通信2005.5.21号による─


◇「ナクバ」は続いている その2

アラビア語で「災難」とか「破局」などを意味する「ナクバ」は、1948年のイスラエル建国宣言と第1次中東戦争を契機としてパレスチナ難民が大量に生み出されたという事態も指す言葉として使われている


5月15日、西岸で、ガザで、ロンドンで、レバノンで、カナダで、米国で……──つまり、パレスチナ人がいる地球上のあらゆるところで、57回目のナクバを想う行事が行われました。「ナクバ Nakba」(大災厄、大破局)はパレスチナ人の苦難の歴史を象徴する言葉。自分たちが生きてきた土地から引き剥がされ、自分たちの運命を自らによって決めることも奪われた痛みが、1948年からずっとこの言葉に生き続けています。

同じ頃、イスラエルでは57回目の「建国記念」を祝う行事とともに、これまでの闘いで倒れたイスラエルの兵士たち、命を奪われた同胞たちを追悼するメモリアル・イヴェントも行われていました。

そのさなか、テルアビブの街角に、ある一連のポスターが貼りだされました。パレスチナで犠牲になり殺された子どもたちの写真と共に「Remember」(記憶せよ)という言葉がヘブライ語、アラビア語で印刷されたものです。この行動を行ったのはイスラエルの「忘れられた者たちを記憶するアナーキスト委員会」。

また、イスラエルの団体「ゾフロット」は、テルアビブで「イスラエルの国家的記憶から何が取り除かれているか」を明らかにするための一連のイヴェントを開きました。パレスチナ人にとっての「ナクバ」を、ユダヤ・イスラエル社会のなかで見直そうというものです。

イスラエルの公文書を掘り起こしてきた新しい歴史家たち(「ニューヒストアリアン」)によって、「建国神話」とは異なり、パレスチナ人が虐殺され、計画的に追い出されていった歴史はどんどん明らかになってきました。しかし、今までのところ、そうやって白日の下に晒された事実はイスラエルでほとんど顧みられていないと言えます。意識的にか、無意識にか、「追放」や「虐殺」「破壊」の歴史は排除され、この歴史的事実を追う研究者への迫害*1も起こっています。

そのような状況にあるイスラエルで、2002年にひとつの団体が産声をあげました。それが「ゾフロット」["Zochrot"「記憶する」の意味]です。

「歴史を互いに分かち合うことから、和解への道のりは始まる」

パレスチナ人にとっての「ナクバ(大災厄)」をイスラエル自らの歴史のうちに取り込むこと──虐殺や追放の歴史を刻みつけることを始めたこのゾフロットの取り組みは、反転して私たち自身も問い返してくるものだと思います。

パレスチナ人の居住と難民の権利のためのBADILリソースセンターが発行する「アル・マジュダル」23号に掲載されたゾフロットの活動紹介を含む記事を今回は送ります。[ナブルス通信]


 



痕跡を消し去ることに抗う
──イスラエルに芽生えた、追放の歴史を保存する活動


ロン・ウィルキンソン
2004年9月 "al-majdal"23号より

Wiping away the traces, Zochrot asks Interior Ministry to stop Lifta development
Ron Wilkinson  Sep.2004



1948年のアラブ/イスラエル戦争の終結までに、パレスチナ人100万人のうち約4分の3の人々が根こそぎにされ、当時アラブ側の領土として残されていたパレスチナあるいは近隣諸国での難民となった。こうした人々の大多数は、およそ500ほどあった小さな村落からの出身者だった。これらの村落は、今日ではイスラエルのユダヤ人社会の一部となっていたり、無人化して放棄されたままだったり、樹木や作物が植えられたり、あるいは公園の整備のためとして整地されてしまっている。テル=アヴィーヴの海岸に面したモスクのように、ショッピング・センターに変えてしまうという計画が立てられたケースさえあった。かつてこうした場所のコミュニティに溢れていた、生き生きとしたパレスチナ人たちの生活の痕跡は、今日ではほとんど残っていない。

イスラエルは、歴史的なパレスチナの地におけるパレスチナ人たちの居住と土地所有の記憶を消し去り続けている。その最新の事例が、エルサレムの都心部から5キロのところにあるリフタ村だ。リフタについての計画というのは、1948年まではパレスチナ・アラブ人たちの村があった土地に、住宅地域と商業地域を建設しようとするものだ。リフタは、エルサレム・ヤーファ街道の脇の急峻な丘に位置している。

ユダヤ人−イスラエル人のグループ、ゾフロット["Zochrot"「記憶する」の意味]は2002年に結成され、イスラエルとその住民たちが、パレスチナ人たちに「ナクバ」が起きたことを認め、その難民の発生に対するイスラエルの責任を受け入れるようにと働きかける活動をおこなっており、リフタでの計画に反対して、イスラエル内務省の地域建設委員会を訴えている。

◆1948年以前のリフタ村

このリフタ村には、モスクが一つ、数軒の商店、1945年に建てられた女の子のための学校、男の子のための小学校、二軒の喫茶店、一つの社交クラブがあった。経済的にはエルサレムに強く結びついていて、リフタ村の農民たちは穀物や野菜、果物などをエルサレムへ売りに行っていた。

今日では、リフタ村にはアラブ住民は、いない。ユダヤ人側のエルサレム市の郊外地域となっている。ユダヤ人の準軍事組織ハガナによって、この村に対して最初の銃撃がなされたのは1947年のことだった。この年の12月28日、喫茶店の一軒が襲撃されて6人が殺され、7人が負傷したのだった。

これ以降にリフタのアラブ住民は、エルサレムや西岸地区の他の都市へ、さらには原野へと逃れていった。1948年2月7日には、そのあとイスラエルの初代首相となるダヴィド・ベン=グリオンが、この村がもぬけの空になったことに対する満足の念を表明している。

この村の東端地域の家々は1948年1月に破壊された。何軒かの家とモスクの廃墟は残っている。それ以外の家々は、パレスチナ・アラブの住民たちが一掃された後にそこへ引っ越してきはじめていたユダヤ人たちによって修理がおこなわれた。

◆ユダヤ人たちによって一部再居住された村

リフタ村から難民化していった人々の家の何軒かにユダヤ人たちが引っ越してきはじめたとき、あたかもパレスチナ人住民たちが村を、彼らの自由意思で自ら進んで放棄したのだとみせかけるような形で歴史的な経緯が演出されたのだと、ゾフロットは主張する。

「このような物理的・文化的な過去の改変が、パレスチナ難民たちの苦難と難民問題の深さを被い隠しています。そして、これが2つの民族の間での和解にとって第一の阻害要因となっています」と。

内務大臣に対する申し立てでゾフロットは、次のように主張する。「リフタの家々は、その何軒かはひどく損傷を受けているけれども、今もなお現存しています。村の中の構造物の多くは瓦礫と化しているとはいえ、それらは今もなお、アラブ人たちの村落の大部分が制圧され、その住民たちが難民化した1948年の戦争のモニュメントなのです。」それゆえ、この新しい建設計画は「リフタ村からの難民たち──そのなかにはエルサレム地域で暮らしている人々もいる──にとって大切な記念の場所としての村がもつ意義を消し去ってしまうでしょう」と。

◆無視されたパレスチナ難民問題

さらにゾフロットは、リフタ村の場所に新しい住宅地域を建設しようとする現在の計画が1948年の追放から結果したパレスチナ難民問題を無視している、と主張する。「この建設計画は、難民たちが自分の家に戻るという、国際的な法的諸原則や基本的人権に沿った権利を事実上拒絶するものです。イスラエル国家には、1949年5月の国連加盟によって、難民の帰還の権利を承認した〔国連総会〕決議194を履行する義務があります。どのような形であれ、建設をおこなったりユダヤ人が居住することは、パレスチナ難民問題の解決の将来的な困難さをいっそう大きなものとするでしょう。」

ゾフロットは内務省に対して、提案されている建設計画を却下し、リフタ村の廃墟を現状のままにしておくようにと求めており、さらに墓地とモスクの保存も求めている。そしてゾフロットは、建設を計画している人々が、リフタ村出身の難民たちから情報提供を受ければ村の保存作業の手助けになるのに、こうした難民たちに連絡を取ろうとすらしていないことにも言及している。ゾフロットは、こうした難民たち、つまり「法的な、そして真の土地の所有者たち」に村に戻って住んでもらい、保存活動を手助けしてもらってはどうかとの提案もおこなっている。

◆元々の住民たちに対する軽視

リフタ村の中心地域を商業地域と住宅地域に変えてしまうことは、著しい冒涜だと、ゾフロットは主張する。「彼らはアラブの建築物や道路の芸術性を不当に利用しているのに、こうした建造物を築き、そこに住み、利用してきた人々に感謝することもないのです。そして計画に含まれているシナゴーグの建設が、今回の計画は(主張されているような)保護のためではなくて、これ以前の様々な動きと同様に、この地域のユダヤ化を狙ったものなのだという事実を明確に示しています。計画はキャンセルされなければなりません。」

ゾフロットは、パレスチナ難民たちが帰還できないでいる間はずっと、1948年の歴史を人々に教え伝えるための記念の場所として村を保存することを提案している。こうした教育というものは、二つの民族の間に和解をもたらすための前提条件なのだ。そして場所が保存されるならば、その保存について説明する文書が当然必要になる。そのような文書のなかには、この地域におけるパレスチナ人たちの歴史を認めさせるためにも、リフタ村のパレスチナ人たちの歴史が含まれなければならないと、ゾフロットは主張する。

居住者たちの車のための取付道路と駐車場についての現在の計画書は、計画する側からすれば合理的かもしれないが、しかし「現実的にはこれが、リフタ村出身の難民たちが自らの村を訪問するのをじゃましているのです。こうした側面で問題をはらんだ計画を進めることは、難民たちと彼らの元の村との結び付きをいっそう弱めてしまうでしょう」。

ゾフロットは、ガリラヤ地方のビルイム村のあった場所がバライム国立公園の一部となっており、入場料さえ払えば誰でもそこを訪問できるということにも言及している。ビルイム村からは追われたけれどもイスラエル領内に住むパレスチナ人たちは、この入場料が免除されており、元の村を自由に訪れることができるのだ。

◆ゾフロットの活動

ゾフロットは設立されて以来ずっと、今はイスラエルだが、かつてはパレスチナ・アラブの地であったことが明確に示されるようにするための様々な活動をおこなってきた。こうした活動のなかには、アル=マジュダル(現アシュケロン)をはじめいくつかのパレスチナ人たちの町で、地域や街路の元々の名前を記した標識を設置すること、テル=アヴィーヴ大学が建てられた土地と同大学のクラブハウスには元々の建設者と所有者がいることを大学当局に認めさせようとする取り組み、この国の本当の歴史についてユダヤ人−イスラエル人の世論における全般的な認識を深めてゆくこと、などが含まれている。さらにゾフロットは、この国の各地にあって破壊され無人化したパレスチナ人たちの村への訪問も、定期的におこなっている。

リフタでの住宅建設は、ユダヤ人たちがアラブ人の歴史と彼らの悲劇を分かっていない、あるいはそれらに注目などしないということを、アラブ人たちに示すことになるだろうと、ゾフロットは主張する。アラブ人たちは、ユダヤ人たちが「この国におけるアラブ的な過去の記憶」を保存する気などないということを知ることになるというわけだ。リフタでの建設計画は、この村の、今も残っている痕跡を消し去ってしまうと、ゾフロットは主張する。

ゾフロットは、建設計画は進められるべきではなく、村の廃墟が「現状のまま」残されるようにと求めており、計画に反対だと結論づけている。

さらに、この村出身の難民たちも加わっている「リフタ協会」も建設計画への異議を申し立てている。

 


出典:al-majdal/BADIL Resource Center発行/第23号/2004年9月
(Al Majdal No.23 , BADIL Resource Center for Palestinian Residency & Refugee Rights)

翻訳:岡田剛士

(Palestine-forum等、いくつかのメーリングリストに流されたものから、タイトルのみ変更した)

[原注より]
ゾフロット〔Zochrot〕についての、より詳細な情報については、ゾフロットのウェブサイトを;www.nakbainhebrew.org
(英語版は以下に)
http://www.nakbainhebrew.org/index.php?lang=english

ロン・ウィルキンソン〔Ron Wilkinson〕は「BADIL」のメディア・コンサルタントをつとめている。


[編集者註]

*1……そのような迫害、弾圧にあった一人が48年のタントゥーラの虐殺を実証したテディー・カッツ氏。「ナクバはまさに、ユダヤ人にとってのホロコーストと同じ出来事だ。ホロコーストの方がもっと大規模で比較にならないと言う。しかし一人の個人が体験した出来事の大きさや痛みは同じなんだ」「私は四〇歳になるまで、イスラエル建国に何の疑問を持たずに過ごした。メキシコで何年か過ごしてイスラエルに戻ってきたとき、イスラエルには歴史について一面的な見方の本しか出回っていないことに気づいたんだよ」と語っている(「坂の街石の家」より)。詳しくは以下の後半に。
http://www.geocities.jp/aonamix/pape.html

 

■「ナクバ」は続いている■

その1 「存続可能なパレスチナ国家の終わり」

その3 「イスラエルの建国とナクバ」



◇Information
その1
イスラエル・ハアレツ紙の記者で、占領地内に住み続け、パレスチナの苦難を伝えているアミーラ・ハスさんの初の翻訳が出版されました。

『パレスチナから報告します 占領地住民となって』アミラ・ハス
(筑摩書房 くぼたのぞみ訳 原題 "Reporting from Ramallah"  2400円+消費税)

まだ日本語版は読んでいないので、岡真理さんからの紹介文の一部を引用させてもらいます。

「原著は、オスロ合意のもとで「和平プロセス」が進行していた1997年4月から、第二次インティファーダの勃発、イスラエル軍再侵攻を経て、2002年の10月までの5年半にわたりハスが書き送ったヘブライ語の記事の中から37本が厳選され英訳、2003年に出版されたもの。日本語版は、ジャーナリストの土井敏邦さんが解説を寄せておられ、ハスの友人でもある土井さんによるハスへのインタビューも載っています。翻訳は、クッツェーやマリーズ・コンデなどの翻訳を手がけておられる翻訳家のくぼたのぞみさんです。

被占領下に生きるパレスチナ人の生の現実、とりわけ、「和平」プロセス、「自治」と言われていたものがいかなるものであったか、そして、ジェニーン難民キャンプの攻撃をはじめとするイスラエル軍による侵攻の実態を、丹念に拾われた当事者の声を通して伝えています。

日本のマスメディアが「暴力の連鎖」とか「テロと報復の連鎖」、あるいは、「ジハード」「殉教」といった言葉でしか伝えないものが、いかにパレスチナの現実とかけ離れた、現実を隠蔽するもの(サイードが言うところの「カヴァリング・イスラーム」)であり、パレスチナの現実をそうした言葉に収斂、還元させてしまうことが認識論的な暴力にほかならないことがよく分かります。断ち切られねばならないのは、私たちがパレスチナに対して行使している、私たち自身の「無知と暴力の連鎖」です。」(岡真理さんによる)


その2
土井敏邦さんによるイラク・ファルージャの映像記録が公開、およびDVD、ビデオで発売されました。
昨年、4月のファルージャへの無差別な攻撃を記録しているものだということです。未見のため、詳しいことは書けませんが、イラク攻撃の不法性もあまり語られない状態になっている今の日本で、この映像を見る意味は大きいと思っています。
DVD、ビデオともに(日本語版、英語版)個人3500円、団体1万円。
『ファルージャ2004年4月』 撮影・編集 土井敏邦
詳しいことは<http://www.doi-toshikuni.net/>に。
試写会を見て書かれた文章(翻訳家のいけだよしこさんによる)は
http://teanotwar.blogtribe.org/entry-5dd74d3d180d0ea90d44df1867a4b533.html

 


(編集責任:ナブルス通信

P-navi info 
[ほぼ毎日更新中。編集者ビーのblog。速報、インフォ、コラム]

5月中旬あたりのtopic

・ラファで有名になった猫の母
・「農地に行けない!」ジャユース村 /イスラエル人よ、訪ねてきて…
・レアルのロナウドが西岸にやって来る→[追加]やって来た
・すっぱ抜かれた米英イラク攻撃共謀/そして、ファルージャの記録

イスラエル、パレスチナに核廃棄物を投棄

などなど

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